本町「和菓子 まめいち」 幾世橋陽子さん
美しい盛り付け、顔がほころぶ味、粋な接客。
また食べたい料理、また来たいと思うお店には必ず理由がある。
KURASHITOコラム「くらしとおやつ」を担当する奥口文結が、仙台の食のプロにお会いして伺う美味しいストーリー。
今回は、本町の「和菓子 まめいち」店主の幾世橋(きよはし)陽子さんを訪ねた。
青葉区本町。NHK仙台放送局のビルと、かまぼこ屋「松かま」の間の路地を入る。路地のビルの2階「和菓子 まめいち」は、店名の通り和菓子のお店。こじんまりとした店内のカウンターには、季節の生菓子と、小豆や抹茶といった和の素材を使った焼菓子などが整然と並んでいる。
「和菓子 まめいち」には、開店と同時にお目当てのお菓子を求めてやってくるお客さんが絶えない。奥の工房とカウンターを行ったり来たりしながら、「お待ちしていました〜!」「ありがとうございます〜!」と元気な声で応対しているのが、店主の幾世橋陽子さんだ。
まずは、季節の上生菓子について、幾世橋さんにお話を伺った。
〝ぶるんぶるん〟の食感を求めて
ー 春の和菓子といえば、わらび餅。まめいちの5月の和菓子のひとつでもありますね。
わらび餅はお客さんからのリクエストがとても多いので、毎年5月には必ず作ることにしています。
ー ころんとした丸いフォルムにきなこがまぶされています。きなこの色が濃いからか、生チョコのような見た目ですね。
ココアみたいな色ですよね。通常のものより焙煎が深めな、焦がし特選きなこを使っています。
ー わらび餅に対して中の餡の割合が多かったです。幾世橋さん好みの割合ですか?
それもありますが、京都の修行時代に働いていた「老松」のわらび餅を再現したいと思って。わらび餅の食感を楽しめて、餡の存在感もあり、きなこの香りが抜けていく感じ。それが老松のわらび餅のイメージなので、材料はどのくらいの配合だったか思い出しながら作っています。
ー わらび餅は、お店によって本わらび粉を使っていないものもありますよね。食べ比べると食感の違いを感じます。
そうですね。成分を見ると、馬鈴しょでんぷんを使っていたり、なみわらび粉と本わらび粉を合わせて作っているお店もあります。
本わらび粉は、わらびの根っこのごく一部から採れます。貴重なので結構いい値段なんですが、老松では本わらび粉100%で作っていたので、まめいちでも100%の配合で作っています。あの〝ぶるんぶるん〟感を出したいからです。
寒天は、楽しい!
ー 「至福の果実」は、何より、見た目が本当にきれいな和菓子です。桃のゼリーはよく出回っていますが、この色合いで寒天というのは珍しいですね。
寒天を丸いセルクル型に流して作ったお菓子で、名前の通り、桃が至福に浸っている……みたいなイメージです(笑)。
ふわっとした色合いにしたくて、寒天の紫色はバタフライピーというハーブで色付けしています。はじめは青色の寒天になるのですが、ローズのエキスを抽出した液(コーディアル)をちょっと垂らすと、青色が見る見る美しい紫色になっていくんです。
ー 少しフローラルな香りが口に広がりました。これもバラのコーディアル?
そうですね。
上の方のオレンジ色は、パッションフルーツのソースと寒天、白あんを合わせたもので、バタフライピーの紫色の寒天に浮かせているんです。
ー 寒天を浮かせる……?
浮かせるといっても、作っている過程では逆さまの状態。オレンジ色のパッションフルーツ寒天が下で、紫色のバタフライピー寒天が上に来ている状態です。というのも、パッションフルーツ寒天に白餡を入れて少し重みをつけることで、バタフライピー寒天より下に沈んでいく。完成したら逆さまにするので、パッションフルーツ寒天が浮いているように見えるんですね。そして、沈んでいく時に色のグラデーションが美しく出ます。
ー グラデーションの比率は、ある程度頭の中で描いているものがあるのですか?それともその都度自然にできるものに任せているのでしょうか?
ある程度は頭にありますね。
味に関しても、パッションフルーツの味が結構強いので、どの位の割合にすると桃を生かす味になるかも考えました。お客さんが召し上がった時、いろんな味がするなと思ってくれたらいいなと思っています。
とにかく、寒天って楽しい!寒天は40度位から固まり始めるんですが、固まる直前に何か違うものを入れると浮いてくれたり、注射器で空気を入れると、気泡の形を留めたまま固まったりもするんですよ。
ー 寒天の中に気泡ができるなんて、かわいい!
かわいいんですよ〜。それを生かして「温泉」をテーマに和菓子を作った時は、お風呂の中のぷくっというお湯が湧いているのを表現するのにこの技法を使いましたね。
ー 私も寒天がとても好きで、暑い時期は、寒天を作ってあんことアイスクリームと一緒に食べたりします。酸味のある果物を入れると固まりづらくなりますが、そういった塩梅も何度も試作して決めていくものなのでしょうか。
そうですね。果汁を入れる時に温度が熱すぎると固まらずばらばらになってしまいます。寒天を溶かしきらずに砂糖を入れると、全然固まらなかったり。つるんっとした食感が寒天の良さなので、何度も試作し、寒天と対話をしながら作っています。
「桃太郎」ができるまで
ー 5月の和菓子のテーマは、「桃太郎」。お菓子と一緒に同封されている幾世橋さんお手製のリーフレットには、桃太郎のあらすじや様々なエピソードが綴られています。
5月は、新しい環境で頑張ってきた自分を癒す時期。地球上には沢山の色が溢れていますが、自分を愛して癒す色といえば、ピンク。ちょうどこれから旬の時期を迎える桃はピンク色だし、桃といえば、桃太郎!というわけで、桃太郎の話に出てくるきびだんごを餡とこなしで包んだお菓子にしました。
ー 実際に作る工程を見せていただきます。これは、包む前のそれぞれのパーツですね。
これは、こなしを着色したものです。こなしは、通常、白餡に小麦粉と餅粉を混ぜ合わせて蒸しあげるのですが、まめいちでは、小麦粉アレルギーの方でもお召し上がりいただけるように、小麦粉の代わりにササニシキの米粉を使っています。ピンク色のこなしを中に仕込むことで、外側からほんのりピンクが透けてきれいなんですよ。
ピンクのこなしをクリーム色のこなしに仕込んで平らにしたら、桃の葉の部分を付けていきます。
ー 桃の葉のところ、よく見ると2色になっているんですね。
そうなんです。濃い緑と薄い緑の2色のこなしを使うことで、それぞれ違った葉の模様になるんです。これで、きび団子とこし餡を包みます。
ー 中に仕込んだ濃い桃色のこなしが、ほんのり透けていますね!葉の緑色もグラデーションになっていてとてもきれいです。
見た目のやわらかい色合いとは裏腹に、半分に割ると……。そんな意外性を楽しんでもらえたら良いなと思って作っています。
和菓子のアイディア
ー 毎月、基本的に3種類の生菓子を出されていて、そのバリエーションの豊富さに驚かされます。お菓子を考えるのに1ヶ月ってあっという間ですよね(笑)?
あっという間です〜!月末大慌てになるので、今月の和菓子を生み出したら翌月のアイディアを練り始めるようにしています。テーマが決まり、「あ!ここワクワクする」というポイントが定まれば、そこを突き詰めていきます。実際のお菓子作りは、アイディアを一個一個間引いていって、バランスを見ながら作っていきます。
ー 幾世橋さんの和菓子はアイディアの幅が広いですね。
本当に色々な分野に関心がありすぎちゃって。特に、歴史が大好きで、昔、どういう人がいてどういうことをしたかにすごく興味があるんです。
少し前は縄文時代に興味があり、暇さえあれば「縄文時代 動画」と検索してずっと見ていたり。相対性理論からアインシュタインをテーマに和菓子を作った時も、相対性理論についてだいぶ調べました。その時はなんとなく理解した気がしましたが、そのお菓子の月が終わると、きれいさっぱり忘れているんですね(笑)。
ー 試験前夜に覚えたことは、試験後に全部忘れてしまうような(笑)?
まさにそんな感じです(笑)。
音楽も大好き。クラシックも聴けば、バンドのライブにも行きます。岩手県在住のピアニストで、齋藤卓子(つなこ)さんという方がいらっしゃるんですが、その方のピアノの音を目を瞑って聴くと、色や形、味がばんばん浮かんできて。音からお菓子が作れるというのを知ったのが、齋藤さんの演奏との出会いからなんです。
ー 音を聞くと、その音から色や味が浮かぶという、共感覚がおありなんですね。
ピアノの音は、ダークチェリーやフランボワーズ系の味が多いんです。モーツァルトだとラズベリー系、ドビュッシーはダークチェリー系。曲調でも変わりますね。「あ、この人ちょっときなこ入ってるな」とか(笑)。
ただ、これはあくまで私の感覚なので、お客様から「私はこんな味がしたわよ」と話を聞いて改めてその曲を聞くと、「その味どっかに隠れてるかな〜。あ、ここでそう思ったのかな?」と考えるのがすごく楽しいです。
お菓子はお客さんとのコミュニケーションツールっていう感覚もあって、お話している中で、新しいお菓子のアイディアを思いつくことも多いです。インプットは色々な分野から、アウトプットは和菓子。すべてお菓子につながっていますね。
・・・
何でもお菓子に見えた!? 子ども時代
「小さい頃からお菓子が大好きだった」という幾世橋さん。当時から、お菓子にまつわるエピソードは事欠かない。
「仏壇に、萩の月とかお供えされていますよね。引っ込み思案だったので、姉の後ろにくっついてあれ食べたいと言うと、姉が『これもらっていいですか?』って聞いてくれて、姉が貰ってくれた萩の月を食べたりしていました(笑)。」
お菓子が好きすぎるが故、見るもの全てがお菓子に見える子ども時代を過ごしたという。
「家族旅行で森に行くと、湖があれば寒天に見えたし、木が並んでいるところを見るとポッキー、雲が浮かんでいたら綿あめみたい、そんな感じで、〝エア食べ〟をしていましたね(笑)。」
お菓子愛が止まらない幾世橋さんが作ることに目覚めたのは、中学時代のバレンタインデー。
「アルミホイルででっかい容器を作り、そこにチョコレートを流し込んで、アーモンドなどを並べて固めた、見よう見まねのチョコレートを作ったのが初めてのお菓子作り。全く知識もなかったので、出来上がったチョコレートは歯が立たない程の硬さ(笑)。それまでは食べる専門だったので、お菓子を作るって何だかすごいんだなぁと気づきました。」
巻物と旅行雑誌が生んだ奇跡
周囲が進路を決めはじめる高校2年生、特に進路が決まっていなかった幾世橋さんはといえば、自宅の勉強部屋の窓辺に座り、カフェオレとクッキーで〝おうちカフェ〟を楽しんでいたそう。
そんな幾世橋さんの進む道を決めたきっかけは、とあるテレビ番組の特集だった。
「日本の伝統文化を継承する職人が減少していて、その中で和菓子職人も少なくなっている、という内容でした。昔から正義感が強く、困っている人がいたら放っておけないたちなので、高校2年生で和菓子文化を救いにいこう、なんて思ってしまったんです。」
翌日早速、先生に和菓子職人になりたいと伝えた幾世橋さん。先生のアドバイスは、「巻物に想いをしたためて、気に入った和菓子屋さんに送りなさい」というもの。
その気になった幾世橋さんは、先生方の協力のもと、巻物を用意。肝心の和菓子屋さん選びに幾世橋さんがとった行動は、旅行雑誌を買うことだった。
「本屋さんで買ってきた雑誌は、ちょうど和菓子屋さん特集が組まれていて、見開きページいっぱいに和菓子屋さんの店構えの写真が載っていました。和菓子職人になるとは言ったものの、昨日の今日で全然お店を知らなかったので、ページに載っている気になる店構えを3つ選ぶことにしました。丸をつけたうちの2つが、『老松』だったんです。」
「有職菓子御調進所 老松」といえば、明治41年に創業した老舗の和菓子店だ。
京都の北野天満宮の近くにあり、催事があればお菓子を納める。夏には、夏みかん果汁と寒天をあわせ、みかんの皮に注いで固めたお菓子・夏柑糖(なつかんとう)を出したりと、季節ごとの和菓子文化を伝えている。
老松で働きたい。その想いを巻物に託して送った幾世橋さん。巻物は届いたかどうか不安になった頃、老松から面接の誘いの電話が入った。
「夜行バスに揺られて京都へ出向き、面接を受けました。そしてまた、あの面接はどうだったのか結果が不安になる頃、採用の電話があり、晴れて京都へ行くことになりました。」
はじめから道を用意されていたかのような和菓子職人としての順調なスタート。幾世橋さんが弱冠18歳の時である。
老舗和菓子屋での修行
知り合いのいない新しい街で、老舗・老松の売り子からスタートを切った幾世橋さん。同期の新入社員は7人。和菓子屋◯◯の息子、◯◯製菓専門学校出身、それぞれ何かしらお菓子に携わったことがある中で、幾世橋さんだけ全くの素人であることに引け目を感じる一方、なかなか工場に入れない現実から次々に同期が辞めていってしまい、あっという間に幾世橋さんを入れて3人となった。
この状況を、幾世橋さんはチャンスと捉える。多忙な社長を捕まえ、製菓衛生士の資格の取得を相談する。勉強して資格試験合格の報告をすると、次の人事異動で工場に入れた。
「味を占めてますよね。そういうことをすると、何か変化があるって(笑)。社長からすると、新人に呼び止められるのは、辞めるとかマイナスなことを伝えられる場合が多い。だから私は、プラスのことを言ったらきっと喜んでもらえるだろうと思いましたし、さらには次の工場に入るチャンスにつながればいいなって思ったんです。」
工場に入ったからといって、すぐにお菓子が作れるわけではない。洗い物や計量、雑用ばかりの日々を、幾世橋さんはこう振り返る。
「洗い方一つにしても怒られたりして、その頃はガラスのハートだったからダメージが大きかったけれど、今となっては何にも知らない人をよく一人前の和菓子職人に育ててくれたなと、感謝しかありません。今でも製造機器を洗う時は、あの時怒ってくれた人の顔を思い出して、『あ、もうちょっときれいに洗いまーす』って思いますね(笑)。」
洗い物の日々を抜けるきっかけの一つは、またしても幾世橋さんの言葉を借りれば、〝味を占めたあの手〟である。
「今度は、和菓子製造作業二級技能士の資格取得を社長に相談しました。この資格は、和菓子製造に3年携わっていないと取得できない筆記と実技の試験です。
社長は、『工場の材料をうんと使っていいから、うんと勉強しなさい』と言って応援してくれて。当時、遠慮を知らない二十歳そこそこですので、本当にたっぷり材料を使って練習しました(笑)。晴れて合格した暁には、徐々に和菓子作りにも携わることができるようになりました。」
京都に来て5年。呉服屋の催事でおもてなしをする仕事など、大きな仕事も任せられるようになった幾世橋さん。和菓子職人としてこれから、というタイミングで、地元への想いが募り、引き止められながらも仙台へ帰ってくることになった。
自分で、何かしたい!
仙台へ帰ってきた幾世橋さんは、すぐに和菓子屋へ勤めようとするも、働ける和菓子屋が見つからず、家事手伝いの日々が一年半続いていた。
「ある日、いつものように夕飯の食材の買い出しに行こうと外へ出たら、太陽が私を突き刺すようにギラギラと光っていて、まるで『お前は一体京都に何しに行ってきたんだ!』と言われてるような気がしたんです。急に恥ずかしい気持ちが湧いてきて、何でも良いからとにかく働こうと思いました。」
イタリア料理店や和食の店の給仕、テレフォンアポインター、スポーツジムでロッカーの鍵を渡す仕事……。力を尽くして働きながら、さらにおもてなしの心が学びたいと就職したのは、ホシヤマ珈琲。
「お辞儀の仕方からコーヒーの淹れ方まで教わることができました。当時のホシヤマ珈琲では、海外出店や起業の面白さを目の前で見せられて刺激になっていたんです。
ある時、ロックバンドのライブでドラムの音を聴いた時、その音に共鳴するかのように『自分で何かしたい!』という想いが心の中で猛烈に膨れ上がっていきました。」
カフェの共同経営へ
4年間働いたホシヤマ珈琲を後にした幾世橋さんは、高校時代の友人の「一緒にカフェをやらない?」という提案を実現することになる。
「友人から、『きよさんが和菓子を作って、私(友人)は洋菓子を作って、1枚のお皿に和菓子と洋菓子どちらも乗っているメニューがあるお店ってどう?』という提案が。いいねぇと言いつつも、その時はもう7年位和菓子に触れていなかったんですね。それなのに友人は、メニュー表用の写真を撮りたいから明日までに作ってきて、と。その日家に帰って、7年ぶりに餡を炊いて、こなしを作ったら……できたんです。覚えていました!」
2005年、定禅寺通沿いのビルの1階に、友人と共同経営ではじめたカフェ「 和 – nagomi – cafe DAYS」は、2010年まで続いた。
「お互いの方向性が変わったら、全部半分にしてやめようね、とはじめたカフェ。友人は結婚や出産を視野に入れはじめた一方、私はもっと仕事がしたかった。段々と変化が出てきたので、5年経ったタイミングでお店を閉めました。」
2010年8月でカフェをクローズすると、同年10月から工房を構えた幾世橋さんは、一人で本格的に和菓子作りをはじめることになった。
色々なイベントに出店する中で、仙台で様々な活動をする人との繋がりを広げていく。
和菓子 まめいち
本町に現在のお店「和菓子 まめいち」を構えたのが、2015年。
「イベント出店も順調でした。でも、このくらいでいいやって思った瞬間、何かお告げがあるんですね。」そのお告げは、工房を構えていたビルの管理会社が変わり、菓子製造の許可が下りなくなったことだという。
突然のことで愕然としたのもつかの間、これまで何度となく乗り越えてきた幾世橋さんの行動力が、実店舗も現実のものにした。
内装を手がけたのは、さくま建築設計事務所。イベント出店をしていた頃に出会ったご縁だという。
「佐久間さんは、ご自身が手がけた物件に作った後も必ず足を運んでいらっしゃって、自分が作ったものを本当に愛しているんだなと感じます。まめいちにも来てくださって、色々心配してくれるんです。ホームページの月替わりの和菓子も、佐久間さんが撮ってくださっているんですよ。」
もっと、お菓子を作りたい
「和菓子 まめいち」を構えて丸5年。カフェ営業、イベント出店と様々な形で和菓子を作ってきた幾世橋さんのスタイルは、今後、どのように変化していくのだろうか。
「オープン当初は、自分の場所が持てた事、ここで作ってここで売るというスタイルに落ち着いた感じがありました。5年経った今、少し外に出ていきたいという想いが生まれています。
今、まめいちは週休2日なのですが、実際は仕込みでその休みも潰れてしまっているので、1日だけでも発信することに当てられたらいいなと思い、スタッフ2名にお菓子作りを覚えてもらっているところです。
和菓子教室やイベントもやっていきたいですし、同じビルの4階に新しくオープンした茶室 「面白庵」 とのコラボレーションも考えています。
そうして目指すは、和菓子 まめいち2号店!まだ何も準備はしていませんが、言っていれば実現すると思っています。
スタッフが増えたこともあり、工場が手狭になってきているので、作る場所を広げ、蒸し器やボイラー、餡炊き器など、いろいろ置いてもっともっとお菓子を作っていきたいんです。お菓子は心の栄養。お菓子をたべて、心が元気になるような表現をしていきたい。そのために、禅の本を読んだりして(笑)。」
最後に、お店の名前の由来を伺うと、「和菓子といえば小豆、小豆は豆、豆が一番、まめいち。」と、シンプルな答えが返ってきた。
「仙台の和菓子屋さんといえば、まめいちと言っていただけるよう、おこがましいですが、仙台の和菓子屋で一番を目指したい。まめいちの〝いち〟には、そんな想いも込めています。
和菓子作りはとても奥が深く、伝統的なものであればあるほど、どうしたら理想の味わいや食感になっていくのか、いろんなお店のお菓子を食べ比べて勉強しています。日々精進、日々進化したいですね。」
日々丁寧に、全身全霊を込めて和菓子を生み出す幾世橋さん。その原動力はこの一言に尽きる。
「やっぱり、お菓子作りって楽しい!」
和菓子 まめいち
青葉区本町2丁目19-9 クリスタルパレス本町ビル東側2F