名取 せり農家「三浦農園」三浦隆弘さん
美しい盛り付け、顔がほころぶ味、粋な接客。
また食べたい料理、また来たいと思うお店には必ず理由がある。
KURASHITOコラム「くらしとおやつ」を担当する奥口文結が、仙台の食のプロにお会いして伺う美味しいストーリー。
今回は、仙台せり鍋を発案し、仙台にせりの食文化を広めた第一人者・三浦農園の三浦隆弘さんを訪ねた。
せりの食べ比べ
ー 取材の前夜、仙台朝市のいたがきで、三浦農園のせり、JAの仙台せり、秋田の三関せりの3種類を購入し、食べ比べをしてみたんです。お豆腐、鱈、昆布だしと一緒に鍋にしていただいたのですが、産地の異なるせりを食べ比べたのは初めて。こんなに違うものなのか!と驚きました。
そうですね。それぞれ良さが違うので、どんな食べ方をするかで提案が変わってくることから、いただきさんは3つの産地を並べているんだと思います。
ー 食べた感想をお伝えさせてください。まず、仙台せりは、根っこのこりこりっとした食感を一番強く感じました。茎が空洞ぎみで、香りは青っぽさがあり、元々私の中にあったせりのイメージに近い味でした。
「仙台せり」の銘柄で出している名取市近辺で栽培しているせりは、空芯菜みたいな食べ方ができるかなと思います。
ー はい、確かにしゃきしゃきとしていて、近い感じがしました。
三関せりは、香草を思わせる風味。鍋にするよりも、サラダなど、そのまま生で食べるのが合うと感じました。
秋田県湯沢市三関は名取よりも寒さが厳しいので、せりは根っこに力を蓄えて生き残ろうという生命力の塊みたいなところがあるんですね。
ー 確かに、香味がはっきりしていて強さを感じました。
三浦さんの作る三浦農園のせりは、味が優しく柔らかい。見た目は、根っこから上にかけて白っぽく太い。鍋に合うせりだなとしみじみ感じました。
恐縮です……!
せりの見た目や味に違いがあるのは、せり農家としてはすごく嬉しい事です。食べ比べる方が増えてくると、お店側も、じゃあいろんな産地のせりを仕入れた方がいいのかな、となってくる。徐々にですが、そうやって世の中がせりを楽しむ文化になってきているなと感じます。
仙台せり鍋のはじまり
ー「せりは根っこが美味しい」を説いた第一人者が三浦さんです。せり鍋のそもそものきっかけは何だったのでしょうか。
有機農法でせりを作った結果、根っこが一番美味しくなったので、これをみなさんに喜んでもらいたいなと思ったのがきっかけです。
秋田には、だまこ鍋やきりたんぽ鍋などで、昔からせりの根っこを食べる文化がありました。
1980年初頭の郷土料理ブームでは、日本中できりたんぽ鍋が広まりました。当時、秋田県のせりの生産量がまだまだ少なかったので、鍋に使われていた大半のせりが、宮城県の名取で作られていたんです。
経済活動としては良かったんですが、美味しいせりを出しても、「秋田のきりたんぽは美味しいね」っていう評価になるんです。
ー せりは脇役という位置づけですね。
そうですね。だからずっともやもやしていた。いつか、せり自体を地元で喜んでもらえたらいいなとずっと思っていたんですね。仙台せり鍋は、そういうもやもやから生まれた鍋です。
仙台では、東北のグルメや東北初上陸みたいなものはいくらでも入ってくるんですが、仙台でしか食べられないものが極端に少ない。それを仙台せり鍋という形で解決したかったんです。
引き算の極意
ー 仙台せり鍋は、どんな鍋にしようと考えていたのですか。
最初に決めたことは、引き算すること。せりが美味しくないとそもそも成立しない鍋にしよう、と。
当時、仙台の冬の宴会の定番といえば、あんこう鍋や牡蠣を使った土手鍋。肉や魚を豪華にするのではなくて、地元ならではのものをシンプルに食べていただきたいと思いました。
ー 東北の鍋文化は、どちらかというと味噌や醤油を効かせた具沢山なもの。出汁とせりのみを楽しむここまでシンプルな形とは真逆です。「もっと具を入れようよ」といった声はなかったのでしょうか。
ありました。「もっと足し算しようよ!」って。
元々、仙台の食文化にせりの根っこを食べる習慣は全くなかった。切り落として捨てていた部分をわざわざ食べさせてお金を取るのか?みたいなことは、随分サラリーマンのおじさんたちに怒られました(笑)。
ー 根菜なら別ですが、葉物だとなおのことですね。
ほうれん草だって、赤いところを切って食べる方がいらっしゃいますよね(笑)。でも、仙台にしかない鍋にするのであれば、せり一つに絞った方がいいなぁ、と。
ー はじめに仙台せり鍋を提供しはじめたのはいつ頃ですか?
一番はじめに仙台せり鍋を提供し始めたのは、2003年くらいから。仙台駅近くにある、17〜8席の「いな穂」という小さなお店からはじまりました。
よく、仙台せり鍋は震災以降に広まったといわれますが、一番のピークは2009〜2010年。「いな穂」からはじまり、イベント会社の方やライブやコンサートでいらしたアーティストの方々が利用される「蔵の庄」などのお店に波及し、それぞれのお店で異なる客層に食べていただくことで、仙台せり鍋の存在を知る分母がどんどん広がっていきました。
震災後は、宮城県を応援してくださる方々によって、仙台のおいしいものの一つとしてさらに広げていただきました。
「いな穂」からスタートしてから20年弱。広告代理店、自治体、農協などには一切広告出稿していません。
仙台せり鍋という取り組みは、地元の酔っ払いたちが、身銭を切って、口コミとSNSで広めていったもの。文化を作るということは、地元に想い入れがある人たちがいて、しっかりとした消費構造があって、関係性を深められているということ。ブームではなくて、「ムーブメント」として仙台せり鍋が食べたいと思ってもらえるようになったのはありがたいことだなぁと思っています。
ー 確かに、文化として定着する前に最初から広告やメディアで宣伝すると、ブームとして一過性のもので終わってしまうことも多いです。それを5年間、身近な飲食店と農家の皆さんのつながりで、外堀ならぬ内堀を埋めていった訳ですね。
はい、ちっちゃい小刀をひたすら研ぎ続けるような苦労ですね(笑)。
ー 感覚的にその5年間は長かったでしょうか。少しずつ内堀を固められた実感はありましたか?
徐々にですね。小さく産んで大きく育てていった感じです。
そもそも仙台せり鍋は、根っこを丁寧に洗って鮮度の良いうちに出さなければならない料理なので、利益効率はよくありません。広げ過ぎてしまうと粗製乱造リスクもあります。
出汁を作ってせりを入れて出すだけなので秘密にしようがないレシピ。だからこそ本物を確立しておかなければならない。おいしくないものを出して、「仙台せり鍋ってこんなものか」と思われてしまうことだけは避けたかったんです。
せりも、秋・冬・春ではおいしい部分が変わってくるので、その都度おいしい食べ方を提案できるだけのたしなみ方は、農家も飲食店も蓄積が必要でした。
それを支えてくれたのが、地元のスローフード繋がりの方や、野菜ソムリエ繋がりの方など、野菜の味がわかっていて、活動を育ててくれた人たちがいたからこそなんです。
せりを育て、人との関係性を育てる
ー 三浦農園のある名取は、せりを作るにあたってどんな環境なのでしょうか。
地域的に、元々人があまり住んでいなかった、水が湧いて出ているような大湿地地帯です。江戸時代の古文書『安永風土記』には、「下余田村はイグサとせり」が名物と書いてあります。お米を作ろうにも、足元がずぶずぶに沈んでしまう程の湿地なので、クワイ、イグサ、れんこん、せりなどが栽培されてきました。
仙台雑煮にせりが乗っているのはそのためで、パクチーとは歴史が違うところですね(笑)。
ー 見た目はちょっと似ていますけれどね(笑)。今の名取の作付面積は?
クワイ、イグサ、れんこんがなくなり、今はせりのみです。作るのが大変なことや、競合する産地が出てきたこと、クワイに関しては、現代の食卓にはあがらなくなってしまったことなどが挙げられます。せりは、宮城県の29ヘクタール、出荷量でいうと415トン。作っている農家は100人程で、その数も年々減ってきているのが現状です。
ー せりの育て方について伺います。1年間のサイクルを教えてください。
年間通して作業があります。せりは、種も苗もお店には売っていません。在来作物といって、400年以上前から名取のこの場所で作っている野菜です。
農家ごとの好みに合わせて選んでいきますが、三浦農園では、見た目ではなく、おいしさ、香りの良さ、やわらかさなどの優先順位で選んでいます。
収穫時期は、9月から年をまたいで4〜5月まで。それ以外の春から夏にかけては苗を作る時期。自家採種といって、せりを生やし、また秋から収穫できるようにすることを繰り返していて、その過程はほぼ手作業です。
豆苗の上を食べて、根を水につけ、また生えてきた部分を食べたことはありますか?あれを田んぼでやっているイメージです。
ー 1日の作業サイクルは?
朝5〜6時に荷造りや在庫状況の確認、受注管理をします。FacebookのメッセンジャーやFAXからも注文を受けるので、注文内容を家族で共有します。卸しているお店から、「団体さん来たから急ぎで持って来てくれる?」といった要望にも対応し、軽トラで運んで届けるなんてこともあります。
卸しているお店のメニューや出し方までなるべくチェックするようにしていますし、自分が作ったせりを誰が食べているかがわかるように最後まで責任を持ちたいです。
ー トレーサビリティがしっかりしていますね。
品質管理しないと、あっという間にぐじゃぐじゃになってしまいます。ぐつぐつ煮込まれてしまったり。何なら居酒屋に行って、「通りすがりのせり農家です」って言いながらせり鍋奉行もしていますしね(笑)。
ー せりも、お雑煮や七草がゆなどの季節物で食べることはあっても、頻繁に食卓にのぼる野菜ではありませんでした。仙台せり鍋が根付いたことで、スーパーにも沢山並ぶようになった。本当にすごい尽力ですね。
これまではお正月前後にいかにたくさん売るかが勝負だったのが、10月〜4月まで長い間食べてもらえるようになったことで、せり自体の分母が広がりましたね。
ー 野菜を買うのは主に主婦層だと思いますが、お店を攻めていったのはなぜでしょう?
根っこを洗うのは面倒なので、主婦の方には定着しづらいなと思いました。また、おいしいその時期ならではの仙台の晩御飯を作るとすると、地酒・ビール・ワインなどのお酒とセットにしたほうが組み立てやすかったんです。
そして何より鮮度管理。出荷してスーパーにたどり着くまでに3〜4日かかってしまうので、その間に根っこが乾いてしまうんです。
居酒屋さんなら、少し値段が高くなっても鮮度のいい状態でお買い求めいただける。1週間分10キロを一気にどさっと届けるのではなく、「送料はかかってしまいますが、3キロずつ週3回鮮度の良いものを届けます」に共感してくれたお店さんだけにずっとお付き合いいただいています。
ー おいしいものを出そうとしたら、手間は二の次ですね。
何なら、料理人の方が田んぼまで取りに来てくれますからね。実際に田んぼを見ていただいて、こちらからも田んぼの状況をお伝えする。そういうやり取りから信頼も深まるし、「あぁ、このお店は食材にちゃんと目を向けているんだな」ってわかります。
ー 本当にお店の方々と強固に結びついているんですね。
えぇ。いちゃいちゃしています(笑)。
ー 料理人の方の調理風景をご覧になることはありますか?
結構ありますね。おいでいただいた料理人の方には、なるべく田んぼで採れたてのせりを食べてもらって、ちょっと油をからめて塩こしょうを振ったようなシンプルな料理なども食べてもらうようにしています。
料理人の方は、自分の引き出しから、食材の組み合わせの提案や盛り付けのアイディアを出されたりするので、見ているだけで嬉しくなりますね。
ー 色々なジャンルの即興料理をいただけるのは特権ですね。
でもプレッシャーですよ。ちゃんと間違いなく美味しいせりを出せる前提で話が進むので、毎度緊張感があります。
・・・
仙台せり鍋誕生秘話を伺ったところで、三浦さん自身についても教えていただいた。
プロレスラーになりたかった高校時代
お爺様が営んでいた三浦農園を継ぐことになった経緯は、三浦さんが高校生の時に遡る。当時の夢について、三浦さんから思わぬキーワードが飛び出した。
「高校時代、プロレスラーになりたかったんです。当時は『週刊プロレス』や『格闘技通信』ばかり読んでいました。そんな中、農園を営んでいた祖父が倒れ、その時に農園の将来を託されて、仕方なく農業系の短大に進みました。子どもの頃から田んぼに入って手伝いはしていましたが、それが本格的に農業に携わるきっかけになりました。」
プロレスラーになりたいというエネルギーは、短大での勉強より、学外の活動に注いでいった三浦さん。
「環境系の市民団体やスローフード運動にはまっていったのもその頃です。海岸のゴミ拾いなどのボランティア活動や有機農業など触れ、これからの世の中、こういう農業をやったら面白いだろうなと思い、色々な人に教えてもらいながら導かれて行ったような感じです。」
三浦さんが短大に通っていたのは1998年頃。当時はNPO法ができたタイミングで、感度の高い大人たちが活発に動いていた時期だという。三浦さんは学生の実働部隊として、その最前線に飛び込んだ。
「オーガニック検査のバイトもさせてもらいましたし、産直のおばあちゃんや環境局などでかわいがっていただいて、若いんだから行って来なさい、といろんな大人の入り口を学ばせてもらいました。」
短大で学んだ、いかにたくさん作物を作るかという生産側の視点。学外活動で学んだ、農業で世の中をどうやって良くするかという社会変革のアプローチ。二つの方向で学びを深めた三浦さんは、農業を通して自分の役目を見出していく。
世の中とプロレスをする
プロレスラーになる夢は、三浦さんの中で整理がついたのだろうか。
「整理がつきました。自分の根っこを掘り起こしていくと、自分は農家生まれ農家育ち。農家ならではの関わり方で世の中に向き合った方が、プロレスラーになるよりは面白いかなって。」
三浦さんは、これを「世の中とプロレスをする」と表現する。
「誰かに乗っかるのではなくて、自分のリングを作る。やってから面白がる。行動しながら自分の文脈を紡いでいく。
例えば、『仙台せり鍋を食べることはローカリズムの最前線だよ』とか、自分の言葉で常に言うようにしています。そのためにも、草の根運動が大事。
損得やマーケティングを考えると、むしろ東京などのお店にがんがん売ったほうが利益にはなるんです。でも、そうではなくて、『うまいせり鍋食べたいんだったら、仙台に来い』と言う。それが、私なりのプロレス的取り組みです。」
体験から学ぶ食育
せり作りは自然相手のこと。時には苦戦することもあるだろう。美味しいことは前提として、年によって味の違いはあるのだろうか。
「ありますね。肥料を変えたり、土壌の調整をしたりすることもありますが、どの順番で収穫するかで味は変わります。
ある年、寒波で他の川や沼が凍った時、温度が一定の井戸水が入っているせりの田んぼだけは凍らなかった。それを嗅ぎつけたカモが一斉にうちの田んぼに来たこともあります。カモはせりの大敵なんです。ある日、田んぼを見に行くと、カモの頭がぴょこぴょこって出ていて……。あれは悩ましい時期でしたね。」
しかし、そういった出来事も受け入れ、なるべく無理をしないという。有機農業で「豊かな生態系を作ることでおいしいせりができる」を掲げる三浦農園が、農薬を使わないことで育ったのはせりだけではない。
「有機農業によって、せりがおいしく育った上に絶滅危惧種の動植物も田んぼに住んでいます。ヒメゲンゴロウや、年によってはタガメ、水カマキリなどがいます。
うちのせりを食べることで、そういった生き物の居場所を守ることにもなると考えていますし、こういった自然環境そのものが環境教育の教材にもなるのかなって。生き物はその都度動画などで記録するようにしています。」
小学校の授業での古代米作りや枝豆を使ったずんだ餅作りなど、環境教育にも積極的に関わってきた三浦さんが大切にしているのは、体験を通して学ぶことだ。
「大人向けの飲食店の社内研修では、胴長を履いてもらって、うちの田んぼでせり収穫体験をしてもらったりもしています。ちゃんと体感・体験してもらうことで、良い思いしたな、だけではなく、学びとして振り返りができるようにプログラムします。おとなの食育、ですね。」
未来へのバトン
農業は、一日にして成らず。非常に時間のかかることにおいて、先を見越してアクションを起こす三浦さん。今、見据えていることはどんなことなのだろうか。
「気候変動やコロナウィルス感染拡大の問題で、世の中がどういう風に転換していくのかを模索しながら、仙台の地元で何ができるかを考えています。だからこそ、身銭を切って食べ支えてくれている方々に丁寧に向き合うことを繰り返して、積み重ねていきたい。
私は、400年以上続いてきたバトンをたまたま受け継いだ身。これをさらに400年後、どうバトンを受け継いでいけばいいかを考えながらいろんな人とお付き合いをしています。
未来の人たちの職業選択で、『農業もこの街も捨てたもんじゃないな』と思ってもらえる良い未来が来たらいいなと思っていますね。」
仙台市内でせりを使った料理が食べられるお店
いな穂(仙台駅)
こうめ(定禅寺通)
仙臺居酒屋 おはな(クリスロード内)
一心(国分町)仙台市内で三浦農園のせりが買える場所
いたがき(仙台朝市)
AOYA(仙台駅前)