国分町「BISTRO ENCORE(ビストロアンコール)」 オーナーシェフ 林俊介さん
美しい盛り付け、顔がほころぶ味、粋な接客。
また食べたい料理、また来たいと思うお店には必ず理由がある。
KURASHITOコラム「くらしとおやつ」を担当する奥口文結が、仙台の食のプロにお会いして伺う美味しいストーリー。
今回は、国分町のフレンチビストロ「BISTRO ENCORE」(ビストロ アンコール)オーナーシェフ・林俊介さんを訪ねた。
晩翠通り沿いにある「BISTRO ENCORE」は、カジュアルにフランス料理を楽しめるお店。1階はテーブル席とカウンター席、2階には個室が用意されている。
ランチは金額毎にコースを選べるようになっていて、1,510円(税込・2020年11月現在)のコースは、季節のスープ、前菜、メイン、自家製デザート、食後のドリンクを選ぶことが出来る満足感の高いコースだ。ディナーは、一品料理からワインまで幅広いラインナップを楽しむことができる。
ランチコースを堪能したところで、お料理についてオーナーシェフの林さんにお話を伺った。
一日のはじまりはパン作りから
ー 今日のランチ、全て大変美味しくいただきました。まずは、パン。先程、厨房で生地をこねているのが見えました。
パンは毎日お店で焼いています。50個位焼いていて、大体その日中に使い切る。16時間生地を発酵させるので、次の日のパンは前日からこね始めないと間に合わないんです。
ー 外側はぱりっとしているけれど、中はもちもちしっとり。それだけこねると弾力が出るということでしょうか。
高加水パンといって、生地が緩くたぷたぷなので、普通のパン生地のように台の上ではこねられないので、ボールでこねているんです。生地を麻布の上にばさっと広げてポーション(小分け)にし、高温・高湿度のオーブンに入れてそのまま焼くと、外側がばきっと、中はしっとりとしたパンになります。
ー レシピはオリジナル?
独立する前のお店でも毎日パンを焼いていたので、その頃のレシピの名残はありますが、粉の品種を見直し、国産の小麦に切り替えました。切り替えたことで水分量が変わるので、それに合わせてレシピも見直したところはあります。
ー パン屋さんのルーティンのお話を聞いているみたいです(笑)
毎朝パンを焼くお店はあんまりないですよね。
パンを焼くのが好きっていうのはあるんですが、安くておいしいパンはない。良いパン屋さんはいい値段がするので、僕が理想とするランチの価格帯は全然実現出来ない。特にランチは地域密着型でやりたいというのがあるので、地域のお客さんが気軽にリピートできるお店にしたいんです。
ー 前菜とデザートまでしっかりついて、1,510円というのは安いです。
安いですよね(笑)そのためにパンを焼いているようなものです。
ー 手間は度外視ということですね。
昼のランチに関してはそうです。いいんです、楽しいから。
ー サラダは、野菜の味が濃いですね。
村田町の農家さんから仕入れているのですが、年中仕入れられるわけではありません。特にサラダ用の葉っぱは全く採れなくなる時期があるので、採れた時だけ声をかけてもらう。仕入れに波があるのは仕方がないです。
ー その方が自然ですよね。スーパーだと年中均一で、冬でもトマトが食べられたりしますが、やっぱり冬場は味が薄くなってくるので、私も産直や道の駅で買うようにしています。
値段も全然違いますしね。野菜も魚も、季節に素直な方が経済的で良いことづくめですよね。
ー お魚のサワラを、あんなにふわふわに焼くにはどうしたらいいんですか?家のフライパンではどうしてもうまく焼けなくて。
フライパンだけだと中に火が入る前に外側がぱさぱさになってしまいます。お店では魚をオーブンで焼いているんですが、そのほかにもちょっとしたコツがあって。
ただフライパンをオーブンにそのまま入れても魚にストレスがかかるので、ホイルをくしゅくしゅにしておいてパイ皿の上に挟んでおき、150度位のちょっと低めの温度でサウナの中にサワラを入れるような感じです。サウナが110度くらいだとすると、オーブンとして150度はかなり低い温度。魚に水分が留まってふっくらと焼けます。
野菜もお魚もお肉も、ストレスをかけないようにするんです。
ー 例えば生ハムなど、通常は塩気のきつい食材も、塩気がマイルドだったり、みょうがのピクルスが添えられていたりと、食べ飽きない。舌が疲れませんね。
ありがとうございます。もうちょっとソースとか凝れればいいんですけど、一人でやっているので行き届いていないんです…… 。
ー 全てお一人で作られているなんて本当に手をかけていらっしゃるんですね。デザートのぶどうのキャンベルのシャーベットも、実をそのまま食べているかのような濃い味でした。
野菜と一緒で、旬になったら作る。キャンベルが終わるとラ・フランス、次にいちごが出て来てクリスマスを迎え、酒粕のシャーベットを出して新春と、季節ごとに何かしら作っている。そういうのが楽しいんですよね。
熟成肉の倉庫は“ナウシカ”の世界?
ー 今回いただいたメインのお肉は、宮城県登米市で育てられている日高見牛。熟成肉を出される時もあるそうですが、熟成肉といえるのはどれ位の時間を経たものなのでしょうか。
最低1ヶ月。3ヶ月はかけなくてもいいと思いますけど2ヶ月はほしいかな。
ー 熟成すると、味が濃くなるんですか?
味が濃くなり、時間が経つとお肉がしっとりして柔らかくなるというのがあります。水分が飛んでお肉が少し小さくなって、旨味成分が増えます。
熟成庫は80パーセント位の低温多湿なんです。お肉の周りが白いカビで覆われて、ごつごつした岩にカビがはえるような感じになります。
ー 痛まないんでしょうか?
倉庫の中は2度位から気温が動かず、風が吹きすさんでいるんです。好みですが、湿度あげる人もいます。
ー 湿度を上げるとどうなるんですか?
カビがもっとふかふかになって、まるで『風の谷のナウシカ』の腐海の生物みたいになります。マリモみたいな。「なんですかこれ?」「牛タンです」みたいな(笑)
ー 実際に調理する時は、洗ったり拭いたりするんですか?
通常、カビを全部削り落としてからしか出荷してもらえないんですが、熟成庫を一緒に見に行ったりしている人から送ってもらっているので、特別にそのままの状態で送ってもらっています。
そもそも熟成肉ってものすごく高価なんです。元は2,000円だったとしても、骨を外すと3,000円、カビを削り落としたものでさらに3分の1くらい持っていかれて。1kg2,000円で買ったものが和牛よりも高くなってしまう。冷凍せずに冷蔵で使い切りたいので、カビを削り落とす前の状態で仕入れるのが僕にとっては理想なんです。
ー ひと目、見てみたいです。
あ、僕の牛肉はそんなにふわふわのカビじゃないですよ(笑)チーズのカビくらい。なかなか手に入らないのですが、お店に入った時は15kg程のお肉をばさっと切って焼いたりするので、お客さんは嬉しそうですよ。
ー 実際に食べるまでの過程って意外と伺い知れない部分なので、カウンターから見られるのは嬉しいです。
あまり手仕事が器用な方ではないんですけど、何をしてても見えた方が面白くて楽しいかなと。最前線で見せるようにしています。
奔放で個性が光る 自然派ワイン
ー 店内には、ワインボトルがたくさん並んでいますね。どういったワインをセレクトされているんでしょうか。
BISTRO ENCOREのワインは全て「自然派ワイン」です。無農薬は当然、添加物もゼロか必要最小限に、昔ながらの製法で作られているもので、幸せな酔い心地を味わえるんです。
ー 幸せな酔い心地……。どんな感じなんでしょう。
味が奔放で面白いんですよね。昔、フランスの写実派と呼ばれる画家たちは、対象を見たままに忠実に描いてきました。その流れに反発して、同じ対象でも人によって全く違う自由な描き方をしはじめた画家たちが印象派。
自然派ワインも味が奔放で個性がきらきらしたようなワインなので、「自然派」って言い方をするのかなって、僕は思っているんです。
ー 素敵な解釈ですね。
ものによっては樽の掃除していないのかな……?っていうような味のものも(笑)それくらい作っている人の個性が出ています。難しいけど、気に入ったものは飲み続けていたい、そう思わせてくれるのが魅力です。
・・・
お料理や食材の背景を伺ったところで、林さん自身についても教えていただいた。そこには、BISTRO ENCOREができるまでのさまざまなエピソードがあった。
お店という「居場所」を持ちたい
「BISTRO ENCORE」のオーナー・林俊介さんは、宮城県仙台市生まれ。晩翠通り・定禅寺通界隈は、子どもの頃から慣れ親しんでいるエリアということもあり、お店には林さんの昔からの知人も多く訪れる。
楽しそうに料理をする様子から元々料理好きかと思いきや、料理をする気は全くなかったという。
「高校2年生、友達もあまり遊んでくれず悩みも多く辛い時に、たまたま知らないカフェに入ったんです。カウンター席ではお店の人もお客さんもみんなで楽しく話しが出来て、『僕もこういうお店を作れたら人生楽しいだろうな』と。それがお店を開きたいと思ったきっかけでした。
両親には家業の医師の道に進めと言われ続けてきましたが、全然興味がなかったので、その道にはいきたくない、自営業をしたいと伝えました。でも高校生なんて甘々で、飲み屋とかカフェみたいなのをゆるくやればいっか、という感じ。料理をする気もなかったんです。」
高校もほとんど行かず、大学も中退。このままだと人生どうにもならない。
考え方を改めようと林さんが向かうと決めた先は、オーストラリアだった。
高級フレンチレストラン 幸せな日々
オーストラリアでのワーキングホリデー。知人の伝手で決まった職場は、思ってもみないところだった。
「住所はオーストラリアのシドニーのど真ん中。僕はもっとゆるいカフェだと勘違いしていたんですが、肝心の住所にあるのは大豪邸。ここは違うよなと思って何回も前を通り過ぎるんですけど、やっぱり住所は間違っていない。表札もない玄関でインターフォンを押したら、ゲートがオートでズドーンと開いて。そこがオーストラリアで一番有名なジャパニーズフレンチのレストラン『Tetsuya’s(テツヤズ)』でした。」
「Tetsuya’s」といえば、オーストラリアだけではなく、世界中からセレブか足を運ぶ高級レストラン。和久田哲也氏が創業したそのお店の人気ぶりを、林さんは働いていた一年間肌で感じていた。
「800坪の敷地に日本庭園みたいなのがあって、店内は150席くらいあるんですが、3ヶ月先ずっと満席をキープ。僕がいる間満席じゃなかったことはありません。日本の著名人もいらっしゃいましたし、シドニーにワーナーブラザーズのスタジオがあったんで、映画俳優のキアヌリーブスが来たり、予約表にレッドホットチリペッパーズの名前があったり。ウェイターのおじさんたちが『俺が行く!俺が行く!』みたいな(笑)みんな浮き足立っていました。」
そもそもTetsuya’sが不動の地位を築いたのは、「サーモンのコンフィ」が大ヒットしたから。
新鮮なサーモンを低温でじっくり加熱し、細かく刻んだ塩昆布がまぶされている料理だが、奇しくもBISTRO ENCOREでもいただくことができる。
「僕は皿洗いとして雇ってもらったので、レシピを教えてもらったわけではないのですが、食材の下処理とかみんなが面倒臭がる仕事をひたすらやりながら見ていて、いつか独立したら作ってみようかなと思っていました。
サーモンの上に乗せている塩昆布を刻むのはすごい大変です。150食分毎日やると、1時間半くらいかかるんですよ。それを僕はやらされて、腕はむきむきでした(笑)
1年間やったんで塩昆布の刻み方はTetsuya’sに忠実です。
レセプションで作ってみたら、先輩からも『これ、出し続けた方がいいんじゃない?』って言われ、そのままBISTRO ENCOREでも出しています。
哲也さんに、お店で出している「サーモンのコンフィ」の写真を見せたら怒らず笑っていました。当時から気さくで、右も左もわからないような僕をお店に置いてくれ、色々なことを教えてくださった方。本当に感謝しています。」
トップシェフと見習いの若者というと、厳しい上下関係のイメージがあるが、職場の雰囲気はどんなものだったのだろうか。
「厨房は15人位、ホールは30人位と、スタッフの人数が多かったので、意外とサービスも仕込み中も整然としていました。みんなすごくフラットな関係で、洗い場担当でも蔑まれることはなかったし、叩いたりするとすぐ訴えられるお国柄で暴力は絶対にないし、一番下のスタッフも哲也さんのことをテツって呼んでいました。
外国らしくOasisの歌とか歌いながら、ヘイヘイ! みたいな感じで、意外とテンション高くて楽しい職場でした。シェフが『今日のラストオーダー!』と声をかけると、『イエーーイ!』みたいな(笑)仕事が終わったらみんなで飲みに行って、誰かの家に転がり込んで朝方一緒に出勤したり、彼女がソファにシーツを敷いてくれたりと、なんだかすごく幸せな時間でした。」
帰国後 厳しい修行の日々
一年間のワーキングホリデーを経て、日本に帰国した林さん。調理師免許を取得してオーストラリアに戻れば、ビザを取ることができた。
しかし、帰国後結婚してすぐ子どもが生まれ、家族の意向もあり、仙台で独立するために修行をすることにした。
最初のお店は、仙台のフレンチレストラン「ボートン」だが、働き始めて1年半でお店が閉業してしまった。ちょうどその時、大町にある「レストランmiura」がオープンするタイミングに当たり、知り合いを通じてご挨拶に行ってすぐに働くことになった。
オーストラリアを出る時、日本の料理の現場の厳しさから、周囲にはオーストラリアでの修行を勧められたというが、その現実を痛感することになる。
「日本に帰ってきてわかったことなのですが、当時の日本のフレンチレストランは、働き始めると最初はホールからなんです。新米はキッチンに入れてもらえない。料理は教えてもらえず、見て盗めという感じです。
はじめに働いたボートンもホール、レストランmiuraもまたホールから。5年位ホールだったんですよね。
僕はとっても不器用なので、何でも人の倍くらいかかるんですよ。器用な人は空気を読んで必要なものをささっと並べておくんですけど、そういうことができないのでとにかくキッチン入れてもらえなくて。
みんなが来る前に仕込みして全部準備して待ってて。みんなが来たら、ホールのセッティングをして、みんなが休憩している間に仕込みをやらせてもらって、ディナーがはじまるとまたホールでサービスして……。
低賃金、長時間労働、徒弟制度がすごすぎるし、精神的にも追い詰められました。」
そういった状況でも、林さんは、シェフの道を諦めようと思ったことは一度もないという。
「いやだなぁとは思いましたけど、仕事に行きたくなかったことはなかったですね。折れたことは一度もない。なぜか折れないんですよね(笑)
不器用を絵に描いたような僕なんで、ボートンの三浦さん、レストランmiuraの三浦さんそれぞれに色々学ばせて頂いたお陰で鍛えられたと思います。本当に感謝しかありません。」
ビストロをやりたい
ここからは、林さんがBISTRO ENCOREをオープンするまでの話だ。フレンチレストランで修行をしてきた林さんが、ビストロという形に至ったのはなぜなのだろうか。
「これからについて色々悩むと、知り合いのお店に一日入らせてもらったりしてみんなが何やっているか見てたんです。ある時『Brasserie Note』(ブラッセリーノート)に、一日お店に入らせてもらったら、三浦さんのお店の近所ということもあって、同じお客さんがたくさん来ていたんですよね。
レストランmiuraにはドレスを着ておめかししていた子が、Brasserie Noteにはジャージで来ていて、ステーキフリットといって、ステーキにフライドポテトが山盛りついているやつをもりもり食べてたんですよね。その様子を見て、自分はキャラ的にもこっちかなと思って。3年半勤めた三浦さんのお店を辞め、Brasserie Noteで働き始めました。」
7年間勤めたBrasserie Noteの代表には、独立のために辞める意志を伝えていた。すると、代表はこんなことを言った。
「店としても、新しい人が入らなくてお店の質が落ちるより、知っている人に引き継いでもらえた方がいい。ここで独立するのはどう?」
お店の場所は、まさに林さんの地元。お受けすると即答した。
新生Brasserie Noteとして誕生したのが、BISTRO ENCOREだ。
慣れ親しんだお店を、どのように林さんらしくしていったのだろうか。
「Brasserie Noteは、通路も狭くテーブルも小さくてごちゃごちゃだったんですけど、僕の場合は知り合いがおばあちゃんも多かったので、そのスタイルはちょっと無理だろうなと思い、値段を上げる代わりに席数を減らしてテーブルを大きくし、ゆったりしたお店にしました。
Brasserie Noteの時からのスタッフで、僕の中でサービス精神に溢れていると思う何名かに声をかけ、引き続き働いてもらうことに。オープンの日も気負わずいつも通りにミーティングして、じゃあ、やります、という感じでオープンしました(笑)」
お店のお客さんの年齢層は幅広い。仕事の接待で利用する人、病院勤務の人、カップルのお祝い事などさまざまだ。
「うちの店は、80歳の方が普通に来るんです。近くにカルチャーセンターやメディアテークがあるので、そこに行った帰りとか、三越で買い物した後とか。オープン直後は、ショップカードを持っていくのはおじいちゃんおばあちゃんばかりで、若い人来るのかな? という位(笑)
年配の方々と話していると一番楽しいんですよね。『久しぶりじゃないですか、元気でしたか?』なんて言いながら料理を出すと喜んでくださるんで、仕事抜きにして人として楽しいですね。そして実は、ランチに来てくれるおばあちゃんは夜も来てくれるんですよ(笑)」
料理より、おもてなしが好き
朝の仕込みから始まり、夜の営業まで終日みっちり料理漬けの林さんだが、プライベートでもお料理をするそうだ。自宅では和食がメインで、煮物など、ご飯のお供になるようなものが多いという。それでも、自身を料理人だと思ったことはないというから驚きだ。
「料理はもちろん好きですが、花を飾ったり、掃除をしたり、どちらかというとおもてなし好きですね。毎日お客さんを家に呼んでホームパーティをするような気持ちでいると、これが無くちゃとか色々心配するじゃないですか。そういうのが好きですね。」
フレンチレストランとして、あまり格式が高いとお店に通うハードルが上がるが、リーズナブルで気軽に楽しめるようなお店は貴重だ。BISTRO ENCOREが通いやすいのは、林さんのおもてなし精神によるものなのかもしれない。
前菜からデザートまで、出来合いのものは使わずに、全て林さん一人で作られている手のかけ様でありながら、「シンプルすぎる」と謙遜する。
食材の味はしっかり感じられるが、しつこくなく丁度良い塩梅の味付けには、「レストランmiura」のシェフ、三浦さんの哲学がある。
「三浦さんってちょっと酸味をつけるんですよ。重いものには酸味のあるソースをとか、食べ飽きないように工夫されていました。
味には酸味・甘味・旨味の三角形と、塩気のバランスがある。ちょっとエッジを効かせたければ、どこかを尖らせるとか。そういうイメージだけもっていた方がいいよ……って僕じゃない他の人に言っているのを脇で聞いていました(笑)でもそれはすごく大事な感覚だと思っています。」
楽しく、ほどほどに、淡々と
23歳から修行をはじめて、35歳で独立。BISTRO ENCOREをオープンして、今年で6年目に入る。新しく見えるお客さんも増えて来た。スタッフはその都度入れ替わっているが、林さんは自分がいられる居場所があればいいという。
「何となく、10年で独立したいなと思いながらやってきて、振り返ると10年で自分のお店を開けていました。
これからも急に頑張ったりはせず、長い目でちょっとずつ成長していられたらと思います。日々焦らないで、楽しく、ほどほどに、淡々と。
70歳位まで料理を作るとして、近所のおじいちゃんおばあちゃんをはじめ、いろんな年代の人がごちゃまぜで来られる場所でありたいですね。」
最後に、店名のBISTRO ENCOREに込めた想いを伺った。
「フランス語ではオンコールと発音するのですが、キッチンでよく使う言葉なんです。おかわりのパンだったら『オンコールパン!』と言う。縁起がいいですよね。
また、BISTRO ENCOREはBrasserie Noteを一旦閉めてから開いたお店なので、Brasserie Noteのアンコールですという意味合いで。ショップカードに幕が開くイラストが描かれているのはそのためです。」
お話を伺っている間、林さんが繰り返されたのは「楽しい」という言葉。
楽しいから料理を作る。楽しいからお客さんをもてなす。
シンプルでまっすぐな想いが、BISTRO ENCOREの隅々に行き渡っている。
今日も林さんは前日仕込んだパンを焼き、BISTRO ENCOREの幕を開ける。
BISTRO ENCORE
仙台市青葉区国分町2-8-9営業時間
昼の部 11:30~15:00(L.O.14:00)
夜の部 18:00~24:00(L.O.23:30)
定休日 日曜日・第3月曜日(連休の際は連休最終日)予約電話番号 022-714-1550